My Diary
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2020-12-09 03:19:06
yuckey
12/19に飲みに行くんですけど、メール...
2020-02-09 03:03:52
平松
ども、お久しぶりです。
また飲みに行き...
2019-12-01 08:53:26
yuckey
お久しぶりです。こちらは何も変わらず過ご...
2016-08-09 14:03:23
平松
通りすがりさん、ども!
はい、正体判明...
2016-08-09 01:18:43
とおりすがり
やはり気になってる人はいるみたいで、
...
2016-08-08 13:16:01
平松
Yuckeyさん、ご無沙汰してます。 m...
2016-08-07 21:35:43
yuckey
久々に楽しませて頂きました。
友人で動...
2013-12-08 13:47:50
平松
遠藤さん
また新橋辺りで一杯行きましょ...
2013-12-08 13:46:51
平松
yuckey さん
物静かな自分は仮の...
2013-12-08 13:44:18
平松
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また2年放置(笑) 逆回転ブログスタート
2022-01-23 Sun
さてさて、放置がすぎるこのブログ。
2013年過ぎてから徐々に更新頻度が落ちてきて、今や数年に1度という体たらく。
何でかなと考えるに、多分住宅ローンという莫大な負債を抱えて、心にゆとりがないのが原因であろう。
ただ、この家はすごく気に入っているので、借りてしまった購入資金について、いつまでもうだうだ考えていてもどうにもならんのよね。
ってことで、人生諦めが肝心。
気を取り直して、今日から暫く逆回転ブログってことで、この7年ぐらいの近況(?)を辿っていこうかと、、、
幸い出かける度に、写真や動画は撮ってあるので、できそうな気がする。
では第1弾
2022年1月20日
この日は、休みの姐さま(嫁)に連れられ、かねてから気になっていた逗子の「まるわ食堂」 に昼食に向かう。
新メニュー「逗子定食」 1800円を選択す。
ボリュームありすぎた。
この1年ほど外出時以外は、朝、昼食べない1日1食生活にしているので、お昼にこの量は無謀であった。
激しい胸焼けのため、結局次の日の16時まで28時間のプチ断食となる。
でも、魚は美味しかったー
この日は、海も割と穏やかで逗子マリーナ近くから見る富士山も凄く綺麗だった。
アイドル
2015-06-29 Mon
曲の整理をしていたら、自分のアルバムが出てきた。
自分の中学生の時のアイドルは、「かぐや姫」あはは、ださ!
中学坊主から15年余り、ミュージシャン時代この曲のレコーディングをしているスタジオに伊勢正三氏が別の仕事でフラッと遊びに、、、
当時のプロヂューサーが、「今レコーディングしている曲を書いた作家が正三の大ファンなんだよ、よかったらギター弾いていってくんない」的に オファー。
それが元で自分のアルバムに伊勢正三氏のギタープレーが残ることに、、、
中学生の頃、一日何時間も聞いてギターを真似したその人が、自分の曲のためにギターを弾いてくれている。
なんという感激か、、、、
それから、早25年。四半世紀だよw
つくづく思うんだけど、自分ってほんと幸せな人生を歩んでる。
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1992年 テイチクレコード Bidis レーベルより発売
LANLA 画家の恋人
曲名:一段高い窓から
作曲:平松靖
作詞;三月真波
Vo:平松八千代
アレンジ:佐藤準
Ac Gut:伊勢正三
Daydream Believer
2013-10-19 Sat
子供の頃から何千回と聞いてきた Monkeys のこの曲。
実際どんな歌詞なんだろうかと、ふと興味が湧いたので、英語の勉強ついでに歌詞を調べてみた。
あはは、そのまま歌詞を読んだだけだと何の事だかさっぱり分からない。
Monkeys をずっとイギリスのバンドだと思ってたら、アメリのバンドだった(笑)
だから、Queen の意味を考えすぎてた。
調べたら Homecoming って同窓会のことで、その Queen だから、そこのミスコンの優勝者のことを言うんだな。
作者曰く、主人公の彼は、Daydrem believer で、その奥さんが元 Homecoming Queen の Jean ってことらしい。
なるほどね。
Oh, what can it mean. をどう考えるかで性格分かりそう。
って事で自分流に意訳するとすると、こんな感じ(ええ、楽天的ですよ(笑))
知ってた? 優しい青い鳥の翼に隠れることができるんだよ
え? ああ、夢の話夢の。でもそこじゃ 6時の目覚ましなんて鳴りっこないわけだけど
でも現実では鳴るわけですよ 6時に、、、
あー起きなきゃね、むりやり眠気を拭って、、、
まったく、なんで髭剃りの刃っていつもこう冷たくてチクチクするんだよ
がんばろうぜ ジーン! 眠そうだけどさ
まぁ、青い鳥の話と同じくらい意味不明かもしれない、でもね成るように成るよ
そう、僕は白日夢みたいにあり得ないやつだけど、ジーン 今僕らは一緒だよ
昔は君も僕のことを白馬の王子様だと思ってくれてたっけ
でも今じゃ僕がどんなやつか、すっかりバレちゃってるけど
1ドルも使わなくたって、僕らは十分楽しいよね!
でも実際、もう少し何か必要かもね
がんばろうぜ ジーン! 眠そうだけどさ
うん、お金の事なんて考えたってしかたないよ
生きてればなんとかなるって!
そう、僕は白日夢みたいにあり得ないやつだけど、ジーン 今僕らは一緒だよ
Oh, I could hide 'neath the wings of the bluebird as she sings.
The six o'clock alarm would never ring.
But six rings and I rise, wipe the sleep out of my eyes.
My shavin' razor's cold and it stings.
Cheer up, Sleepy Jean.
Oh, what can it mean.
To a daydream believer and a homecoming queen.
You once thought of me as a white knight on his steed.
Now you know how happy I can be.
Oh, and our good times starts and end without dollar one to spend.
But how much, baby, do we really need.
Cheer up, Sleepy Jean.
Oh, what can it mean.
To a daydream believer and a homecoming queen.
Songwriters: Stewart, John C
家族葬
2011-04-09 Sat
家族葬ということで、伯母が最後に住んでいた伯母の娘(私の従兄)の家で最後のお別れ。
82歳、体が弱かったのによく長生きしてくれました。
「きーぼー、きーぼー」とよく世話を焼いてくれた伯母だった。
うちの母親の姉で、親戚の中で一番交流があったのがこの伯母だ。
最後に会ったのはいつだったろう?
一緒に愛媛県の叔父の所に行った時だったろうか?
もうずいぶん前だな。
神戸は火葬所で納めの式はやらないそうで、棺が着くなり火葬に!!
その代り骨上げはとても丁寧というか細かく、「おやじの時はこんなことしたっけ?」とほぼ初体験な感じ。
骨上げの後、西神中央駅で夕食を摂り、従兄の家に帰って夜中の12時前までだべる。
自分ではなく女性陣がだけど(笑)
女性はよくしゃべると再認識!
実家に帰ったのは 1時過ぎだった。
つかれた、、、
チビ太命日
2011-03-27 Sun
今日は、チビ太の命日だ。
未だに事切れるまでの2時間のことが頭から離れない。
チビ太の事を考える度に、なぜもっと早く安楽死させてやらなかったのか、後悔の念で一杯になる。
チビ太が死んでからの一年、本当に色んな事が有ったなぁ。
ほんと激動の一年だった。
チビちゃんへ
16年間本当にありがとうでした。
あなたのことは忘れませんよ。
ちび太没後半年
2010-09-26 Sun
16年間一緒に暮らしたちび太が死んでちょうど半年経つ。
最近何度かちびたの夢をみた。
一つは、ちび太が何故か虎でじゃれて甘噛みしてくるんだけど、なにせ虎なので噛まれた腕がちぎれそうに痛くて、、、って夢。
次が、チビタを母猫のもとに連れて行くと、母猫のお腹にぴたーっとくっついて手をグーパーしてほんとに幸せそう、、、ってな夢。
その次が、ちび太が生まれたての子猫で帰ってくる、、、ってな夢。
あれからまだ半年しか経ってないのか。
死ぬまでの 2時間はかなり辛そうにしていて、その時の様子がが未だに頭から離れない。
時間薬とは言うものの、なかなか癒えるものではないのだな。
何時かはちび太のことを書き残しておこうと思うんだけど、それが出来るまでにはもう暫く時間が必要なようだ。
ちび太旅立つ
2010-03-27 Sat
乳腺腫瘍が見つかってから 4ヶ月。
今日ちび太が旅立った。
覚悟は出来ているつもりだったけど、本当にいなくなるとこんなに悲しいとは思わなかった。
色々なことがあったこの 16年間、彼女のお陰でどれだけ心豊かに暮らせたことか。
泣いても泣いてもまた涙が出てくる。
死の瞬間にも立ち会わせてくれて、最期まで律儀なやつだったな。
今は、感謝の気持ちでいっぱいだ。
楽しかった
2008-01-04 Fri
今回の年末年始、色々あった。
まずは、高校生の時に好きだった人と飲みに行ってたーくさん話をしたこと。
韓国に遊びに行って、楽しい時間と新たな体験をしたこと。
実家で家族とわいわい遊んだこと。
昔のミュージシャン仲間と久しぶりに会って、飲んで語ったこと。
あっという間の1週間だったわ。
癒されもし、力も頂き、力も与え、近年になく素晴らしい年末年始だった。
(伊丹空港ってパブリックな無線 LAN がパスワードなしで使えるんだな。)
結婚指輪
2007-01-06 Sat
買いました。
いや、18年前に婚約指輪を買う時に、結婚指輪も買ったんだけど、ついでに買ったもんだからデザインがいまいちで、付けたことがなかった。
良いデザインのが有れば買おうと言ってはいたものの、探す機会が無く、ずーっと付けずじまい。
ところが、今回正月に大阪に帰った時、天王寺の路面店でシンプルでいいのがあったので、やっと買った。
「どれがいいかねぇ」と二人で選んでいる時、ふと婚約指輪を買った時の事を思い出した。
あの頃は、結婚してからも必ず貧乏になるのは分かっていたので、「ダイヤの指輪なんか、生活に困って『売るか』となっても、買った値段の10分の1くらいにしかなれへんから、婚約指輪ぢゃなくて小さい金のインゴット買ったるわ、そしたら買った額より高く売れるかも知れへんやろ」と言ったら、「なんやあんたは」と泣かれた。(笑)
会社の未婚の女性たちと飲んで結婚の話になると、女子のほぼ全員が自分の結婚に纏わるセレモニーについて、子供の頃から色々と思い描いている事が分かる。
この点に関しては、明らかに男子との溝は大きい。
子供の頃からの夢の一つである女子と、できれば避けて通りたいと思っている男子。
そりゃ喧嘩になるわな。
ってなことを、思いながら、結婚19年目にして初めて左手の薬指に指輪をする初春であった。
미사
2006-11-04 Sat
システムリリースの打ち上げも終わった。
いや、まだこれで安心というレベルにはないんだけど。。。
ソウルからも開発責任者に来て貰ってリリースに備えたので、彼らともわいわい飲んだ。
去年の9月、初めてソウルに行った時からそうなんだけど、カラオケのあるところに行くと、誰かしら必ず「雪の華」を歌うので、「なんで?」って聞いたら「ミサっていう凄く流行ってるドラマの主題歌になってる」とのこと。クリスチャンの多い韓国だから、そっち系のドラマと思ってたら、題名を短縮してたのね。
ちょうど、BS 日テレ で、そのドラマ 미안하다 사랑한다 が最後の2話だけやってたので、事前に話のあらすじだけネットで調べてから観た。
最終回は泣けましたなぁ。愛ですね、愛。最後も美しかった。
けど、ちょっと待てよと。。。
「少し前に実際にドラマの最後と同じようなことが、電車の事故のことで有ったよなぁ」と思い出した。
その時の感情は、「なんて悲惨な」だった訳で。。。
やっぱ物語って現実から離れすぎてもだめだし、でも、絶対離れていなきゃいけない所があるんだろうね。
でなきゃ、あの最後を美しいとは思えないよな。
日本グランプリだよ
2006-10-10 Tue
5月のソウルに続いて、自分の中で今年最大のイベントが終わった。
虚脱。
初日は、朝6時ののぞみで、穴子弁当食べながら一路名古屋へ。
初日だし雨だし楽勝だろうと思っていたら、近鉄名古屋の特急券販売窓口が混み混み。
8時10分のに乗る予定だったけど、8時半のになってしまった。
それでも、9時過ぎに白子駅到着。
ここでまた、サーキット行きのバスの乗るのに行列。うーーん、雨の金曜日でこれだと、決勝晴れたらどーなんのかね。
バスの中での皆さんの話を、耳ダンボで聞いていると、今までずっと行こう行こうと思ってはいたけど、なんとなく行きそびれていた人が、最後の鈴鹿だてんで「頑張ってきました」ってのが多いようだ。
そうこうしているうちに、着きました鈴鹿サーキットランド!
1st. practice は雨
2006-10-10 Tue
しとしと降ってました。
予選、決勝は晴れの予想だったので、この日はあまり走らないだろうなと思っていたけど、結構走ってくれた。
この後、金曜観戦組の3人と落ち合う。
長野の局舎で作業をして、そのまま鈴鹿に来たとのことだが、3人とも異様に元気だ。
2nd. practice は晴れてきた
2006-10-10 Tue
2nd session 20分を残すところで晴れてきた。
コースも乾いてきて、一昔前の予選のように、最後5分で目まぐるしく順位が入れ替わる。
Pit FM 聴いていると、なんだかわくわくしてくる。
それにしてもエンジンの音が五月蠅い。
琢磨も元気に走っている。
夜は、協力会社が名古屋の事務所をお泊まり所としてくれているので、そこに帰ってお風呂に行って居酒屋で夕食。
土曜からの観戦組が来る前に少しでも寝ておこうと、9時には床にはいる。
2日目
2006-10-10 Tue
いやーー、良い天気だわ。
夜中に2日目からの観戦組と合流。朝5時、総勢13名でサーキットへ。
渋滞もなく1時間ほどでサーキットへ到着。
朝7時前に中央ゲートに行ったら、並んでる。おいおい、今日は予選だろ。もうこんなに人がいるのか。
我々も列に並ぼうかと最後尾へ向かったが、幾ら歩いても最後尾に着かない。
馬鹿馬鹿しい。どうせ8時には他のゲートが開くのに、こんな所に並んでも意味がないと、我々はヘアピン東ゲートへと向かった。
中央ゲートからてれてれ歩いてヘアピン東ゲートへ到着。もう開いてるやん。全く並ばす入場。焼きそばとビールで腹ごしらえ。
腹ごしらえも終わって、どこで観ようか思案していると、中央ゲートから入ってきた人たちが、観戦場所を確保しようと必死の形相でやってきた。
ふふふ、まずは情報戦で我々の勝ちだ。
後から、情報サイトで知ったことだけど、中央ゲートの行列入場は、ゲートオープンとともにぐだぐだになり、行列は全く意味がなかったようだ。律儀に並んでいた人たちは、怒りまくりだったとか。
さよなら、顎兄ちゃん
2006-10-10 Tue
この勇姿をこの目で見るものこれが最後か。
色々言われてますが、F1 で最も成功したドライバーであることは間違いない。プレッシャーが掛かるとせこい事をするのが玉に瑕だが、まぁ人間らしくてそれもよかろう。
そして、とんでもないタイム 1:28.954 を置きみやげに、コクピットを降りる彼なのである。
1987年 ベルガーのポールタイムが 1分40秒台だったことを考えるととんでもないタイムになったもんだな。
そんなミハエルの予選ラップを堪能し、Q2 が終わったところでサーキットを後にする。最後まで観てたら、車が出せなくなるもんな。
今宵の夕食は、去年と同様蓬莱軒でひつまぶし。うまかったぁーー。
決勝
2006-10-10 Tue
この3日間本当に凄い人だった。
あまりの人の多さに、指定席を持っていないメンバー6人が決勝観戦をギブアップ。
そのうち2人が観戦券をヤフオクに出したところ、2枚現地手渡しで68000円。ひえーー。
落とした人は、結婚記念日に是非妻に F1 を見せたいと千葉から来るって人でした。
朝9時、余裕をかまして大渋滞覚悟で車で出発。ところが、四日市で高速を降りたら、全く渋滞なしでサーキットまで着いた。なんと、こんなこともあるのかぁ。「来年もこの手で行こうよ」「来年ねーよ」「はははは」
「ミハエルの1回目のピットストップまで観たら、駐車場集合な」と示し合わせて各自自分の観戦ポイントに散開。
いよいよスタート。興奮も最高潮に。 この映像の後、琢磨が S字で先生とアルバースを2台纏めてスパーンと抜いていった。
すげーーー。
ミハエル 1回目のピットストップが終わって、トップのままコースに復帰したのを確認して、サーキットを後に。
TV の生放送を聴きながら駐車場まで歩いている間に、ミハエルリタイア。
これで、チャンピオンはフェルナンドにほぼ決まりだな。
東京に帰るぞーーー
F1 Suzuka GP 2006 Album
2006-10-10 Tue
ソウル
2006-01-05 Thu
うちのおかんが、子供の頃朝鮮に住んでいたのは知っていたけど、その事については全然興味がなかった。
自分がソウルに行くようになって初めて、自分の母親が韓国の裡里ってところで生まれて、今のソウルで15歳まで暮らしていたと知った。
でも詳しい場所は、もう忘却の彼方みたい。(笑)
月に一回、南大門の近くの三越百貨店に行くのが、楽しみで仕方なかったらしい。三越百貨店の建物は今もあって、新世界百貨店になってる。
家があったのは、今のソウル駅近くの青葉町ってのは覚えていたので、ネットで京城古地図を探して購入。
あった、あった、青葉町。今の地下鉄4号線の淑大入口辺りだ。でもこの地図ちょっと古すぎ。まぁしょうがないか。
土曜日は、たぶんフリーなので行ってみよう。
今日は、結婚記念日
2005-05-13 Fri
であった。
夜、会社に「おとーちゃん、今日は結婚記念日やで」と八千代から電話あり。
「おおー、そうやった。仕事してる場合とちゃうがな。なんか旨いもんでも食べに行こうや」ってことで、銀座で晩飯を食べた。
うーん、もう丸15年か。早いもんやね。
新社屋下見
2004-12-12 Sun
来年 S とそのグループ会社が大挙して汐留めに移動するので、そのビルを見ておこうと、丸の内での買い物の後、汐留に行く。電通、日テレと個性的なビルが立ち並ぶ中、まだ工事中の一際平凡なビルがそれだった。情報では 2F から 25F が S のフロアで、26F から上が高級ホテル「コンラッド東京」になるらしい。
昔の日記 を見読み返してみると、そこで働くことになるなんて全く知らない自分がいる。人生何がどう転んでどうなるかなんて、ほんと分からんよな。
電通ビル 46F の焼肉屋で、フジテレビのビルを見ながら晩飯食った。
去年の今頃は
2003-05-10 Sat
乗鞍オフだったんだな。
あれから一年。ふー、年月が過ぎるのがとっても速いなぁ。
「月日は百代の過客にしてゆきかふ年も亦旅人なり」かぁ。今年もよき旅人であってほしいよ。
乗鞍オフといえば、去年亡くなった江藤さんと最後に会った場所。
そして今日も同年代の知り合いの死の知らせが。
札幌の FM 局ノースウエーブのディレクターで、八千代が SOY の頃お世話になった方だ。自分も何度かお会いしたことがある。東京出張中の突然死だそうだ。儚いな。
「予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず」 同感です、松尾先生。あーどこかに一人で旅行したい気分。
オフ
2002-11-30 Sat
今日の夜は、MuON の江藤さんを偲ぶ会。同年代の友人の訃報は、驚きとともに、諸行無常を再確認させられる。
今年は,身近な人を多く亡くした。 実父、お世話になった舞台監督、世田谷時代の近所の友人、それと今日の主役。おやじ以外は,皆同じ年代だ。
以前、レコード会社を首になってから、1年間トラックドライバーをしていたと、この日記にも書いた けど、その時の出向先は葬式専用の花屋だった。
その仕事は、ただ花を運ぶだけではなく葬式すべてを手伝わなければいけない。一年間で150件以上の葬式に行ったと思う。
そこで見たものは、順番の違う死の悲しさ。
バイクの事故で高校生の息子を亡くした家族。40代の息子の葬儀を勤める、年老いた両親。
朝、準備を手伝いに会場へ行って、お棺が子供用だったりすると、逃げ出したくなった。何度もらい泣きしたか分からないな。
その時から 「親より先には,絶対に死ねないな」 と思っている。
何かとブーたれてる現世の私ではあるが、親の最後を看取る責任を果たせるだけでも幸せと、謙虚に日々精進せねばな。
知の貯金
2002-11-26 Tue
若い時に読んでおいた方が良い本か...
高校大学時代は、大げさな話でなく、ギターを抱えて寝ていたくらい、ずっとギターばかり弾いていたから、本なんて殆ど読まなかったな。
高校生2年生の時は,「散髪屋さん」 と呼ばれていたんだった。何故かと言うと,必ず毎月曜日学校休んで、家でギターを弾いていたから。なぜ月曜日かと言うと、時間割からして、たとえ1年間月曜を休み続けたとしても、欠席が理由で単位を落とす科目がなさそうだったから。
高校生でそんな事をしていると,そのうち担任から職員室へ呼ばれるわけだ。「おまえ、なんでいつも月曜日休むの?」 との担任の問いに 「週6日も学校へ来ていたんでは、ギタリストになれないから。義務教育ぢゃないんだから、いつ学校へ来るかは自分で決める。」 と答えた。担任の教師もかなり左ぎみだったのが理由かどうか 「あそうか、それなら問題ない」 とあっさりしたものだった。
この頃貯めた音楽の貯金もずいぶん前に使いきってしまった。今考えれば、デビューした時には,もう何も残ってなかったな。あの頃の押さえがたい音楽への衝動は、どこへ行ってしまったんだろう。また、自分のために曲を書きたいと思う日が来るのだろうか。燃え尽きていなければいいけど
F1 佐藤琢磨のニュースで思い出した
2002-09-18 Wed
なんでもマクラーレンのロンデニスから、「そんな作戦今のF1では有り得ない。それに本来君はここにいるべきドライバーぢゃないんだ」 なんて言われたそうだ。今まで散々悪口書いてた2チャンネラーどもにも、もはや同情される存在になってしまった、琢磨。
そういえば昔、事務所の腐れプロデューサーに、ある曲の事で説明を求めたら 「平松君、どうせ聴いても分かんないでしょ」って馬鹿にされたことあるな。
当時事務所は、八千代をソロで出したがっていた。私はそれで良いと言っていた。むしろその方が才能ある八千代の今後のためだと思っていたし、センスの無い事務所に嫌気が差していたところだった。強がって言えば 「渡りに船で辞めてもいいぜ」 ぐらい思っていた。でもレコード会社からは、契約通りあくまでもLANPAという名前で活動するようにと強制された。
そんな経緯だから、事務所としてみれば当然私は、製作現場で口を出して欲しくない厄介者だ。その後も何度か 「本来君はここにいるべきミュージシャンではない」 的なことを言われたな。事務所が考える購買層と、私の作る曲に少し隔たりがあったんだね。私は売らんかな主義にほんの少しの抵抗を試みただけだったんだが...
私を辛辣にコケにしてくれた奴に対しては、「プロへの夢破れ、情けなくも音楽業界にしがみついて生きてるお前が、プロになった俺になんでそんな事が言えるわけぇ」 と腹が立ったけど、確かにあんたの言うとおり、実力不足だったよ、今考えればね。プロではなかった。
「売れないものを作っているようではプロとは言えん」 と言われる意味も分かるよ、今ならね。
でも、あの時テーブルをひっくり返して帰っていれば、こんなに小ぢんまりしてないかも知れない...かも?なんて事も思う。 決断するってのは難しいね。
そんなこんなで、腐れミュージシャンの私が言うのもおこがましいですが、心中お察ししますよ、佐藤さん。でもまだ2戦ある、小ぢんまりせずがんばるのだ。
思い出
2002-08-20 Tue
今日の夜は本当に涼しい。そのせいかどうか、最近やっと悲しくなってきた。仕事中ふっと手を止めては、気づかないうちに親父の事を考えていたりする。
最後に会ったのが去年の暮れ、弟の車を借りて、親父が好きだった大阪の杭全にある東部市場の魚屋に、ふぐを買いに行った。ちょっと猫背気味に前屈みになって魚を選んでいる親父の後姿を見て、なんて小さくなったんだろうと、悲しくなったときのことが思い出されて仕方がない。そんなことを考えていたら、知らないうちに涙が出ている。臨終、通夜、葬式では殆ど涙は出なかったのに。
今年初めて父の日に送りものをした。父の日当日お礼の電話を掛けてきてくれた。その時が親父の声を聴いた最後だ。めったに感謝の気持ちを言葉に表さない親父だったが、最後にちょっと涙声で 「ありがとう」 と言ってくれた。
亡くなった当日も、いつものようにお昼を食べ3時まで居間でテレビを見ていたそうだ。その日は珍しく、オムライスが食べたいといって、おかんがオムライスを作ったんだって。で、3時に自室に帰るときにおかんに、「ご馳走様」 と言ったそうだ。結婚して43年、おかんは親父の口から始めてその言葉を聴いたらしい。
離れて暮らしているので、このまま何の感慨もなく時が過ぎていくとかと思っていたけど、日常の生活に戻ったとたん、津波のように悲しみと虚脱感が襲ってきた。今は、ただただ空虚という言葉でしか心の状態を言い表せない。何か足りないんだ。その何かは分かっている。「もうお前の親父はいないんだぞ」と、事あるごとに再認識させられるからね。「この津波に飲み込まれないように」 と思うけど、今は身を任して、溺れるままホワイトウォータの中で辛うじて呼吸をするしかない。抵抗する力なんてないし、抵抗は無意味だ...
色々性格的に問題のあった親父ゆえ、死んでこんなにがっくりするなんて、思ってもみなかった。
この曲は、八千代のお婆さんが亡くなったり、弟の子供が死産だったり、いろんな悲しいことが重なったときに作った鎮魂歌。この曲を親父に送ろう。安らかにね。
恐怖のきのこ体験--その3
2002-04-30 Tue
死ぬほど辛い1時間半を何とか耐え抜いたが、ショックは大きかった。
それまで自分は、死に直面しても凛としてそれを受け入れられると思っていたが、本当に死ぬと思った時の取り乱し様とパニックには、情けなさ炸裂だった。
この体験が本当の死の瀬戸際と同じかどうか分からないが、そうそうかっこよくは死ねないものなんだなと思った。
食べてから4時間半近く経ってきてようやく訳が分かってきた。起き上がれるようにもなって、回りを見渡すと現実の世界がそこにあった。そうだ、紛れも無い現実と、過去から未来への時間の流れの中に自分はいた。
そう思うとなんとも言えない恍惚感に包まれた。こんなに幸せとだ思ったのは生まれて初めてだと思った。何もかもが輝いて見え、全てのことを前向きに受け入れられる自信に満ち満ちていた。この恍惚感と充実感が、2時間ほど続いた後、きのこの効果は消えていった。
その後何ヶ月か経って、あの恐怖体験は食べすぎが原因だと思い、適量 (と世間で言われている量) を食べてみたが、やっぱり恐怖の大王がやって来やがるので、もう2度と食べることは無いだろう。ただ、恐怖体験も含めて貴重な体験だったと思う。特に最後に来る充実感は、一生あんな気持ちで過ごせたら、本当に幸せなんだろうなと思うと、生活環境や仕事や家族構成も含めて、人生を考え直さないといけないのかも、という気持ちにさせられた。
恐怖のきのこ体験
2002-04-27 Sat
3時間が過ぎた頃 (あとから思い出して、大体それくらいだったと思う) 錯乱状態に加えて、今まで体験したことのない恐怖心と孤独感に襲われる。
普通恐怖を感じるときは、生命の危機だとか何かしら恐怖の対象があるけど、そんなものは無く、あえて言葉にするなら 「ただ純粋な恐怖」 とでも言えばいいのか、それに対してまったく防御できない、素っ裸で一人南極に取り残されたような感じだった。
波のように寄せては返す 「恐怖と孤独」 にベッドの中で体を丸めてひたすら耐えるしかなかった。しまいには、このまま死んでしまうと本気で思った。
そう思うとさらに強力な 「恐怖と孤独」 がやって来る。完全なパニック状態。気が狂いそうになるのをひたすら耐えた。
その時の記憶は鮮明に残っていて、今でも電車の中とかで 「ここであの時みたいになったらどうしよう」 と考えると、さっと血の気が引いて軽いパニック症の様な感じになる。
そんな状態が1時間半ほど続いた後、訪れたものは... つづく
マジックマッシュ6月から麻薬指定に
2002-04-26 Fri
当たり前やがな、あんなもん。 LSD とおんなじですわ。
その辺の道端で売ってるマジックマッシュは、たいがい効き目がないけど、中には本当に凄いやつがあるのだ。
それまで、バリ島へ行った時やら、友達に貰ったのやら食べたけど効いたためしがなかった。 そんな時ここ を見つけて一番効くと噂のハワイアン・コペランディアを買ってみた。どうせ効くかいなと思って、一袋全部(3回分)を一度に食べたら、とんでもない事に。つづく...
食べてから1時間、貧血の様になってベッドに横になった。吐きそうなのは織り込み済みなので気にしなかったが、目を閉じるとあらゆる色と形が渦巻く。特に青は、それまで見たことがない美しい青だった。目を開けて天井を見ると50cm くらいの蜘蛛の糸が垂れ下がっていた。それをずっと凝視しているとあれよあれよと言う間に、何千、何万本にも増え、フェニックスの形になったと思ったら、大きく羽ばたいて飛んで行ってしまった。
「マジックマッシュって凄いな」 と、きのこを食べたせいでそうなっているのが、把握できている間はまだ幸せだった。食べてから2時間ほども経ったころから、錯乱状態になった。何がなんだか分からない。自分か誰かも分からない。なぜ今ここでこうしているかも分からない。自分が男か女か、そもそも存在するのかも分からない。
ありとあらゆる意味のある物の、その意味が分からない。色々な物事を理論だてて相互に結びつける回路がショートしてしまった。時間軸に伴わない記憶があふれ出てくる。忘れ去っていた子供の頃の事が1時間前のことのように感じるし、気が付いたらずっと同じ行動を続けている。
そんな中、一瞬(5秒くらい)我に返れる時があって、「何とかしないと」 と思うが、そんな一瞬があるだけまだましだった。 この後、一生忘れられない体験をすることに... つづく
借金フリー
2002-04-12 Fri
起きたら喉が痛い。 昨日、一昨日とちょっと寒かったのにTシャツ一丁でいたせいだろう。 お気に入りのハーブティーでも飲んでおとなしくしていよう。なんだか、大きな銀行が大変そうだ。 今月27日が山場らしい。考えてみれば物心付いてからこの方、ずっと借金まみれの生活だった。 小学5年ビートルズの青盤に始まり、クラプトンを聴けばシングルコイルのギターが欲しくなり、好きな子がツェッペリンを好きだと言えば、レスポールが欲しくなり、テクノが流行ればコンピュータを買い、CDを出せば身分不相応なオーディオを買い... 毎月27日はどこぞの銀行より大変なことになっていた。 ほとほと疲れた一年前、一念発起して売るものは売り、返せるものは返して、生まれて初めて借金のない月末を迎えられた。 そりゃその時の開放感ったら、日本橋から門前仲町までスキップで帰ったわさ。 ありがたいことにあれから一年、まだ「毎日が27日でもかまわないぜ」と言えている。 がんばりや、M銀行。
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